焼けるまでの四十分

STORY · 創作
創作日記
創作(フィクション)
オーブンの小さな窓に、顔を近づけている。
土曜の朝、思い立ってパンを焼くことにした。粉と水と塩と、少しの酵母。生地をこねたのは昨日の夜で、ひと晩冷蔵庫で眠らせたものを、今朝丸めて天板にのせた。形はいびつで、表面には指の跡が残っている。
焼き上がりまで四十分。タイマーをかけたものの、ほかのことをする気になれず、台所の椅子をオーブンの前まで引いてきて座った。
最初の十分は、何も起きない。生地は白いまま、じっとしている。本当に膨らむのだろうかと、少し不安になる。
二十分を過ぎたころ、ふいに形が変わりはじめた。切れ目を入れたところが、ゆっくりと口を開くように割れていく。中から、もうひとつ白い面が押し出されてくる。見ているうちに、表面の色がほんのわずかずつ変わっていく。白から、薄い麦色へ。麦色から、焦がした砂糖のような茶色へ。
台所に、匂いが満ちてくる。窓の外では、隣の家の洗濯物が秋の風に揺れていた。
こういう時間は、たぶん、早送りしてはいけないのだと思う。待っている四十分のなかに、焼き上がりのおいしさの半分くらいが入っている。
タイマーが鳴って、扉を開けた。熱い空気と一緒に、ぱちぱちと小さな音がする。冷めていく皮がひび割れる音だ。パンが歌う、と誰かが言っていたのを思い出した。
いびつなまま、こんがりと焼けた。指の跡も、そのまま模様になって残っている。
切るのは、もう少し冷めてからにする。待つ時間は、まだ少しだけ続く。
この文章は創作(フィクション)です。登場する出来事や人物は実在のものではありません。